2016年2月27日土曜日

自殺対策で責任を取らされる

    新聞によれば,自殺対策を自治体に義務化するとか。しかし,自殺ってのは突発的なもので,そんな個人の感情の機微までを周りが把握するのはかなり困難だ。それを義務化するということは,責任も取らされるということか。大学も,学生の自殺対策を義務化されるのであろうか。現場でどうしたらいいのだろう。ある経験談でも,本当に突然で訳もわからなかったと聞いたことがある。遺書のようなものが無い場合,自殺の原因って常に真実がわかるというのだろうか。

2016年2月20日土曜日

大学の責任と高校の責任

    本学工学部のある種の入試合格者(なんと11月末に決定する)は,高校卒業前に大学からの通信個別指導を受けることができる。他にも優遇措置があるが,この指導内容は,入学したあとの 1 年生のときに受講する数学や物理の演習問題を解くものである。まだ解き方も習ってないのにである。しかも,受験生の中には,それを楽しみにしている者がいる。あの Z 会の問題がすらすら解ける人たちなのだろうなぁ。すごいとしか言いようが無い。しかしである。通信指導は担当する准教授にとっては負担(余計な仕事)であるし,それが本当に大学が責任を持ってやるべきことなのか,僕には疑問だ。高校の校長ももっと真面目に考えて,卒業までは高校ですべての責任を取りますと言えないのだろうか。11 月末には入学が確定してしまった高校生の指導を,その高校がやらないのは手抜きだろう。責任を持って推薦したのであれば,卒業までの教育にも責任を持つべきではないのか。我が母校の高校では,こういったことを避けるために推薦入学に積極的ではなかったと思う。
    ところでプロ野球に行く高校球児達は卒業直前には高校で勉強しなくてもいいのだろうか。お正月前後からは何の疑問もなく TV には,新しくプロになる予定の高校球児達が出ている。と,学生さんに質問したところ,野球だけじゃないそうだ。うぅーむ。
    ま,入試については本学側の方針でもあるのだから僕が何を言っても仕方がないが,本学の考え方は実は「教養教育なんてどうでもいいから,使える知識だけを覚えさせて,効率的に研究をして成果を出す学生を生産したい」だけなのではないだろうか,と疑っているのは僕だけだろうか。

2016年2月13日土曜日

ある入学試験の面接で困ったこと

    僕だけがそう思っているのかもしれないが・・・
    面接で受験生(高校生)が使う言葉で気に入らないことがたくさんある。「貴校・貴学(うほ大)」「存じ上げ(知ら)」「うかがって(聞いて)」「させていただいた(した)」「拝見させていただき(見せてもらい)」「自分といたしましては(私は)」「お越しになって(来て)」・・・何故こんな,普段使いもしない言葉を使うのか理解できん。高校生が普段こんな言葉使うのかい。卒論発表の 4 年生にも使わせない言葉である。素直な直球で言いたいことを言えばいいのに。言いたいことがうまく表現できていないよ!何が言いたいのか素直にこちらの頭には入ってこない。実は,志望動機等を記した書類も敬語満載である。困ったものだ。
    と思って,本屋で面接についての漫画本を立ち読みすると,敬語を使えとある。ことの本質がわかってないのではないだろうか。
    何故こんな現象が起きているのか。審査が,発言の本質的な中身と質疑応答内容に基づいて行われているということが,受験生に伝わってないからだろう。それが当たり前なのに,その第一義のことに対処せず,言葉遣いや身形に気を使っても何にもならないとは思わないのだろうか。何をもって審査されているかという規準が曖昧だと思い込むことから,簡単に対処できる回りの事情でマイナス点をもらわないように過剰防衛をしているらしい。面接の準備をするまでの人生で一度でも「おっしゃった」とか「お話しになった」という表現を使ったことがありましたか? と質問したいところだ。丁寧語を使わなければならないのは,面接するこちら側である。せっかく我が校を選んで受験してくれた高校生ですからねぇ。同じ理由(確か後輩の先生が上のようなことを主張していた)で,卒業論文や修士論文の審査会で学生さんはスーツを着るらしい。くだらん。
    さて,その高校生。入学して 1 年もすると,教員に会釈もしないし,廊下は横に並んで歩くんだから・・・トホホ

2016年2月11日木曜日

論文や書類の修正依頼がおかしい

    論文査読に「ヤング率はおかしい,ヤング係数と書け」と来た。頭に来た。ヤング率はヤング率だ・・・と,まさかと思って道路橋示方書を見るとヤング係数とある。どうやら示方書教団の信者さんが査読したらしい。
    今度は学内だ。ヤング率の単位を Pa にしろと。Pa は圧力の単位だ。示方書教団の信者さんの場合は N/mm^2 である。ただし応力も同じ単位だ。しかしこれは素直だ。また行列の括弧をカギ括弧にせよときた。その理由は書かれてないから無視した上で理学部数学の友人に問うたら,面白い一文を得た。「数学的記号法に関する最高裁判所は存在しない」だ。他大学の先生に愚痴ったところ,どうやらこういった,どっちでもいいことを強要するのが流行っているようだ。困った。
    昨今の大学内外アンケートでも,ある種の結論を強要するような状況だ。研究のためのプロの教員からのアンケートでもよくあるが,回答の選択肢の中に選べる答が存在しない質問が多すぎる。「その他:自由記述」も無い。特にインターネットのアンケートには,最後に自由記述が無い可能性があるので,途中に一箇所でも特定の目的のための自由記述欄があったときには,とりあえずその目的にかかわらず,そこに,全体に対する文句や苦情も全部書き込んでおく。そうでないと,うっかり最後の問題を答えた途端に「ありがとうございました」で終わってしまうからだ。答を強要して,ある設定した結論に導こうとしているらしい。

2016年2月6日土曜日

ディスるは英語らしい

    ま,なんでもいいけどね。さて,respect は動詞も名詞もあるからいいけどね,最近の complete って何かわからんかったけど,どうやら動詞らしい。動詞を動詞で使うようになったのは,グローバリゼーションの成果かねぇ。いや,名詞として使っているのかな? まさか形容詞? ウゥーム。しかしねぇ,choice は名詞なのに動詞で使うんだよね。学生さんの英語による発表会で,まさに choice を choose の代わりに使っていた。指導教員は恥ずかしくないのかねぇ,練習したんだろうに・・・トホホ

役所の英断

    とうとう踏み切ったようだ。グローバリゼーションとか叫びながらこれまでは留学生定員は入学定員外のカウントであったが,あと数年の間の平均で,留学生も込みで入学定員および在籍定員の 105% を越えた部署を一つでも持つ大学からは,概算要求ができなくなる。すなわち,頭の悪い日本人より留学生をたくさんとって日本語で教育をしなさいと決断をしたわけである。確かに留学生の方が比較的やる気はあるから,日本語で受講してくれるならとてもいい。国家予算を使って運営している国立大学法人で,自国民より留学生を大事にすることを決めたらしい。これはすごい決断である。どうせ,その国家予算からの運営費を役所はそのうち零にする積もりだし,今でも光熱費を払ったらほとんど残らないのだから,日本人学生から今後は高い高い授業料をとって,留学生には奨学金を与え,一部のやる気のある教員に民間と一緒にプロジェクトをやらせて間接経費をガバガバ稼げばいいってわけだ。すごいねぇ。研究大学ってのは,基礎知識や常識を得て豊かな自国民を育てて,それを増やして国の底力を保つのではなく,今すぐ使える技術を留学生と開発して全世界に一気に拡げて金を得るのが役目だったというわけだ。

2016年1月31日日曜日

またぞろ英語である

    協定校への留学希望の学部 2 年生の応募書類を斜めに読んだ。書いた英語,これがひどい。文法無視。スペルも間違い。日本語の直訳。僕もこんなものだったか。しゃべる英語はもっとひどかったような気がするが,書くときは辞書引き引きなんとか文法通り書いたような気もする。担当なさった先生が隅々までお読みになって,まず口から出たのが `I has ...' であった。あまりにも三人称単数で苦しめられたんだろうなぁ。また「カリキュラム」が `cariculam' のよう(記憶不確か)になっていた。正式な application form なんだから辞書引こうよ。留学希望者がこのレベルである。残りは推して知るべしかぁ。
    そして,このレベルの学生さんが留学したことによって,受け入れ大学からは「この程度なら協定書条件の受け入れ人数を減らしたい」との苦情を最近複数件いただいているらしい。昨今の間違ったグローバル化の世の中,わが大学の留学推進の気持ちはわからなくはないが,こんな中途半端な学部半年とか 1 年ではなく,修士 1 年のときにみっちり 1 年か 2 年,途中帰国不可で「専門の勉強!」のための留学をさせたらどうなんだろう。希望者がいないんだろうなぁ。1 年以上の留年を覚悟しなければならないし。就職が不安なんだろうなぁ。昔と違うなぁ。なら,留学なんてやめちまえ!

2016年1月24日日曜日

我が大学の我が学科の英語レベル(読み)の低さ

    数学の授業で配る資料は英語だ。もちろん手抜きだからだ。なぜなら,この授業は留学生対象を兼ねていたからだ。そのころは,講義もすべて英語で,教室で日本語は一切使わなかった。だから学生による授業評価は最低。「英語でやるな,意味が無い」とまで書かれた。『大学の教育方針に口を出す権利はお前みたいな奴には無い』と回答したかったものだ。しかし今は教室では日本語だ。しかし,10 年以上やってるが今年になって初めて,学生による授業評価の自由記述欄に,資料が英語であることの苦情が書かれた。うちはその程度だということだ。嘆かわしい状態である。
    コミュニケーション能力というのは決して英語によるそれであるとは全く思っていないのは何度も書いたが,たった 20 ページの,しかも授業のあとに復習として読めば,式が並んでいるんだから,数行に一回辞書を引けば中学生でも理解できると思う。そこで勉強しておけば 4 年生のゼミで楽になるのに。しかし,その資料が困るんだそうだ。我が大学の我が学科のレベルはその程度らしい。ここで言う能力は読解のことである。6 年も中等教育で勉強してきて,日本人が書いた英語がわからんのか。おっと,そうか,僕が書いた英語だからダメなんだな。やはり native に書き直してもらわんとダメか・・・トホホ

2016年1月23日土曜日

オヘア空港でタクシーに乗る

    バス事故があった。土木事業の発注者は標準的な価格で請負業者を探し,受注者はそれをできるだけ安く請け負おうとするが,ある程度の儲けと必要経費は確保するのが普通である。昨今の低入札は,現金が欲しい一部の会社が,どこかにしわ寄せを強要しているとしか思えないのだが,バス営業で同じことが起きているのではないか。さらに悪いのは,土木事業は標準価格をまず提示するのに対し,バス運用会社はそれを無視した低い価格(どうやら標準価格の半分以下らしい)で請負業者を探す。これはもう恐喝だね。
    シカゴの空港のタクシー乗り場には,行き先ごとのおおよその料金表が掲げられている。Evanston に行く場合は例えば 40 ドルなどとある。タクシーに乗るとメーターは動かさない。ま,そんなこともあるだろう。降りるときに「あそこにいくらと書いてあった」とくるので 40 ドルと答えると,ボソボソと僕がわからないことを言って 45 ドルくれとなる。ま,僕は小金持ちだからチップも含めて言い値を渡す。是非はともかく,日本のバス料金も同様の出発地・到着地標準価格表を国交省が作って一般に公開しておく必要があるのではないだろうか。格安に乗るのは乗客の自由だ。それで事故が起こってもいわゆる自己責任だろう。規制緩和だけをして安全のための最低価格というのを提示しないのは片手落ちだと思うのだが。普通の商品もオープン価格とか,訳のわからない状況が続く昨今だ。物やサービスにはそれなりの価値があってそれは価格で表示されなければ意味が無い。

2016年1月16日土曜日

こういう研修こそ時間の無駄

    某機関による研究倫理の研修 eLearning をようやく終えた。全教員の必修研修だ。七つのトピックスで,延べ二日半かかった。実は読んだのは主文だけで,html のアンカーが付いた参考情報には一切目を通していない。クイズは,六つのトピックスに対しては五個ずつで,最後のが三個だった。回答は選択式(一部複数回答有り)である。成績はまず 80 点,60 点と不調で始まるが,その後はすべて 100 点がとれた(もちろん当てずっぽうもあった)ので,及第点(80 点以上)で研修を終えた。三日かかったょぉ! ふぅーっ!
    そのクイズ。参考情報を一切読まなかったからかもしれないが,答が正しいとは思えないものもあった。例えば次のようなものだ。主文に例えば「X が Y になる原因には A や B がある。また C であることも考えられる。特に D については注意が必要だ。」とあったとしよう。そしてクイズだ。『X が Y になる原因の中で最も起こりにくいものは A, B, C, D, E のうちどれか』である。これは困った。主文を読んでもそんな発生確率までは書いてなかったからだ。ということは当てずっぽうか,あるいは経験に基づくより他には無い。そこで僕は自分の経験(その五つの事象に接した過去の経験)を膨らませて『E』と答えた。しかし正解は「B」で,その説明文には「E も起こる可能性はありますが,どちらかというと B が起こるのは非常に希です」とあった。しかし,そんなことは主文には一切書かれてないのだ。我々の講義の試験でも,参考文献を参照しない限りわからない問題は出してはいけない。参考文献はあくまでも興味のある人用の参考のために準備されているからだ。これは出題における教育倫理違反に他ならない。いずれにしても不毛な数日だった。二度とごめんだ。
    卒業論文やら修士論文とその論文投稿準備やら学会発表準備やらで最も多忙な12月から3月のこの時期,半月の間に負荷の高いアンケートが六つだ。研究倫理が二つ,キャンパス内禁煙,教育について二箇所から,そして不正防止だ。一つは動画だ。ほんの一部の馬鹿教員の不正によってその他大勢の真面目な教員(僕は60点しかとれなかったから不真面目な教員だろう)の時間が無駄になっている。教材を作らされる方も迷惑だったろう。またアンケートは恣意的だ。選択できる答の無い問が多すぎる。ある結論に誘導しようとしているだけのアンケートである。こりゃもう駄目だ。