さて,今は大学に交付される校費は光熱費でほとんど消えて,出張するにも研究や実験のための費用にも,外部資金を獲得しなければならない時代になった。米国では,その外部資金の一部を学生の奨学金として使える。しかも貸与ではないし,授業料だけではなく生活費もカバーしてくれる。その代わり,その外部資金に関する研究を補佐しなければならないが,それは学位論文のテーマである。学生は研究スタッフであって,研究という場面では教員と対等である。というのは,僕らを米国に送り込んだ恩師の言葉であり,当時の僕らとその恩師の間の人間関係でもある。少なくとも卒論や修論の学生さんとの関係は,今でもそういうものだと考えて僕は接している積りである。当時,僕も含めた日本からの多くの留学生も,そういった外部資金で生活して PhD をもらった。こういう裁量は,我が国の外部資金提供機関からは許容されていない。役所が大学院重点化つまり博士課程重点化だけを形式的に実施し,役所も研究関連機関も学生さん(実質的な研究スタッフ)の奨学金のケアを全くしてこなかったわけである。少なくとも,この外部資金による学生のサポートを解禁したら喜ぶ教員と学生さんは増えるのではないか,さらに博士課程にも進学してくれるのではないか。とは,何も裏づけの無い感想であり,外部資金をもらえない下っ端の推測であるが。あの ips 細胞の山中先生は,当時の学生さんを成果が出るまでは私費ででもサポートする覚悟があるから,一緒に頑張ろうとおっしゃっていたらしい。偉い!
2016年7月2日土曜日
奨学金で困っている大学生・卒業生
さて,今は大学に交付される校費は光熱費でほとんど消えて,出張するにも研究や実験のための費用にも,外部資金を獲得しなければならない時代になった。米国では,その外部資金の一部を学生の奨学金として使える。しかも貸与ではないし,授業料だけではなく生活費もカバーしてくれる。その代わり,その外部資金に関する研究を補佐しなければならないが,それは学位論文のテーマである。学生は研究スタッフであって,研究という場面では教員と対等である。というのは,僕らを米国に送り込んだ恩師の言葉であり,当時の僕らとその恩師の間の人間関係でもある。少なくとも卒論や修論の学生さんとの関係は,今でもそういうものだと考えて僕は接している積りである。当時,僕も含めた日本からの多くの留学生も,そういった外部資金で生活して PhD をもらった。こういう裁量は,我が国の外部資金提供機関からは許容されていない。役所が大学院重点化つまり博士課程重点化だけを形式的に実施し,役所も研究関連機関も学生さん(実質的な研究スタッフ)の奨学金のケアを全くしてこなかったわけである。少なくとも,この外部資金による学生のサポートを解禁したら喜ぶ教員と学生さんは増えるのではないか,さらに博士課程にも進学してくれるのではないか。とは,何も裏づけの無い感想であり,外部資金をもらえない下っ端の推測であるが。あの ips 細胞の山中先生は,当時の学生さんを成果が出るまでは私費ででもサポートする覚悟があるから,一緒に頑張ろうとおっしゃっていたらしい。偉い!