朝日新聞でプレゼンテーションに関する連載がある。あまり読んでいないが,大谷大学の鷲田先生という方が,「プレゼンテーションは営業で売り込むときに使うもの」,さらに「『わざわざ言うな水臭い』文化の崩壊で拡がったもの」という表現があった。僕も同様の印象を持っている。プレゼンテーションというのは一方的な自己主張(売り込み)。ディベートというのも一方的な詭弁の自己主張。「聞く」という行為が含まれない。このことも朝日のどこかに書いてあったような気がするが見つからない。
これに対し,研究発表はディフェンスであって,自己の主張とそれに対する反論の理解とその反論に対する正確で正直な回答から成る。しかし昨今の卒論発表や修論発表はプレゼンテーションのみで,質問以降はメチャクチャである。もちろん昔からそうだったが,昔はプレゼンテーションのところが泥臭いレポートだったからバランスが取れていた。質疑についての心の準備もできていた。しかし今はプレゼンテーションの部分がマニュアル的演技になっていて,そこばかりを練習し,自分の課題に含まれる問題点への疑問・質問に対する心の準備を疎かにするため,質問以降のディフェンスとの間のギャップが大きい。話が上手な人に限って,スライドは小さい字満載で,質問になると立ち往生。
ちなみに,鷲田先生は「研究発表」を「レポート」と呼んでいる。しかし,レポートというのはある程度客観的な報告で,嘘や誇張の無い点がプレゼンテーションとは違うようにも感じる。呵呵。ちなみに `report' の辞書の意味の最後あたりには「出頭する」というのがある。わかるだろうか。艦長が上級仕官に「ブリッジに集合!」というときに使うのである。呵呵。