ちょっと褒めようかな,民*党。
ようやく総括ができたらしい。かつては,公約は破られると誤解されることからか,マニフェストとかいう訳のわからないカタカナを使って施政方針を公にしたが,結局それは破られてしまった。それも自覚していないような発言が続く中,ようやく気付いたらしく,マニフェストは骨抜きにしておいて,破らないで済むようにしたらしい。
そして,右往左往しても批判を受けないように,大スローガンを「動かすのは,決断。」と,句読点付きで大胆である。マニフェストをぼやかしておいて,万一ぶれてしまっても,そのスローガンは「公約は変えないが,一度決めた決断の方を動かすのだ,つまり,適宜ブレながら頑張る」と主張したわけである。居直りもここまで大胆だと潔いのかもしれない。これで投票対象から完全にこの党を無くすことができた。
2012年12月8日土曜日
2012年12月2日日曜日
金返せ
民*党が,離党者に金を返せと・・・
マニフェストとかで人を集めておいて,金を配って,しかし執行部はその方針に沿った運営ができなくて,誘われたものの方針転換に納得できなくて離脱する人に,マニフェストを死守できない親団体が金を返せとは・・・全く論理性に欠けていて,子供の主張にしか聞こえない・・・よねぇー
マニフェストとかで人を集めておいて,金を配って,しかし執行部はその方針に沿った運営ができなくて,誘われたものの方針転換に納得できなくて離脱する人に,マニフェストを死守できない親団体が金を返せとは・・・全く論理性に欠けていて,子供の主張にしか聞こえない・・・よねぇー
2012年11月25日日曜日
そこそこの常識的な提案か
朝日の 23 日の耕論の 3 氏のご意見は,これまでの議論に比べて常識的ではあったが,その達成のために大学ではできないことがある。まず誤解されないように言っておくが,鈴木元文科省大臣が我々に尋ねておられる「では,高卒で社会に出せばいいんですか?」に対しては,僕は Yes である。
大学は以前も書いたように,研究者養成が第一目的ではなく,社会で活躍するごく一部の専門家エリートを教育する場所だと思っている。競争率が下がった大学に入って,学費のために夜はアルバイトをやって,授業中は居眠りしかしていない学生さんを,もはや苦学生とは言わない。だってすべての科目で成績悪いし,宿題も出さなかったりする。学生さん全般で同じような状況だが,他人の宿題を提出日の講義中に教室で写す学生さんを卒業させる義務があるのだろうか。もう 30 年以上前からときどき言ってきたが,高卒・中卒が満足な仕事をして適切な給料をもらえるシステムを確保するのが第一である。
で,市川内閣府仕分け人の話に移るが,「一定のレベルに達していない学生は卒業できない仕組み」を役所は作るべきであろう。卒業させないという言葉は簡単なようであるが,某大学のトイレで刺殺された教員の二の舞は,我々はごめんである。今の状況で退学させるのはとても簡単だが,あとのことを考えるとなかなか難しい。しかも「退学」というシステムは本人に不名誉なことがあって,しかもそのレッテルを貼って追い出すものとして認識されている。だから成績が悪い学生は別システムでどこかに移動していただかなければいけない。アメリカの実態は知らないが,かなり自由に大学を移り歩く。入試が無いからかもしれないが。そういう「移学」システム(大学・専門学校・職能大学校を含めた)というものを役所がまず整備すべきである。これは必然的に大学を序列化することになるが,序列の低い大学を無くすよりはましだろう。
特に専門学校・職能大学校に移動した人たちはきっと技を身に付けるだろう。今は,専門学校で正看護師の免許を取ったあとに大学で教養を身に付ける人もいるが,逆に大学で教養を身に付けて技能をあとで磨いてもいいではないか。プールで出会った大工さんや看護師さんも必ずしも大学は出ていないで,いい仕事をしていると聞く。
・・・と思ったりした今日このごろである。
大学は以前も書いたように,研究者養成が第一目的ではなく,社会で活躍するごく一部の専門家エリートを教育する場所だと思っている。競争率が下がった大学に入って,学費のために夜はアルバイトをやって,授業中は居眠りしかしていない学生さんを,もはや苦学生とは言わない。だってすべての科目で成績悪いし,宿題も出さなかったりする。学生さん全般で同じような状況だが,他人の宿題を提出日の講義中に教室で写す学生さんを卒業させる義務があるのだろうか。もう 30 年以上前からときどき言ってきたが,高卒・中卒が満足な仕事をして適切な給料をもらえるシステムを確保するのが第一である。
で,市川内閣府仕分け人の話に移るが,「一定のレベルに達していない学生は卒業できない仕組み」を役所は作るべきであろう。卒業させないという言葉は簡単なようであるが,某大学のトイレで刺殺された教員の二の舞は,我々はごめんである。今の状況で退学させるのはとても簡単だが,あとのことを考えるとなかなか難しい。しかも「退学」というシステムは本人に不名誉なことがあって,しかもそのレッテルを貼って追い出すものとして認識されている。だから成績が悪い学生は別システムでどこかに移動していただかなければいけない。アメリカの実態は知らないが,かなり自由に大学を移り歩く。入試が無いからかもしれないが。そういう「移学」システム(大学・専門学校・職能大学校を含めた)というものを役所がまず整備すべきである。これは必然的に大学を序列化することになるが,序列の低い大学を無くすよりはましだろう。
特に専門学校・職能大学校に移動した人たちはきっと技を身に付けるだろう。今は,専門学校で正看護師の免許を取ったあとに大学で教養を身に付ける人もいるが,逆に大学で教養を身に付けて技能をあとで磨いてもいいではないか。プールで出会った大工さんや看護師さんも必ずしも大学は出ていないで,いい仕事をしていると聞く。
・・・と思ったりした今日このごろである。
2012年11月18日日曜日
大学は教えてもらう場所か
朝日新聞の論説にまた田中某大臣の暴挙に触れて妙なことが書いてあり,大学を整理することには反対だと。この人は,大学にいる学生さんをもっと丁寧に教育してあげるのがまず必要であり,学生の質を上げる努力をすべきであると言っている。新聞捨ててしまったので確認できないが・・・最も陳腐なのは,高校の補習を大学でするのが当然という論理である。誰の責任でここまで「自ら学ぶ意欲レベル=大学での学習能力」を下げてしまったのか。田中某が主張している「大学のレベル」というのは「教員のレベル」であることもこの人には理解されていない。
また,学生の質が下がったのは,定員を割ることを許されない大学が,そもそも大学生としての資格を有していない者を入学させていることにあることも理解されていない。だから大学での補習が必要だと主張する。それは,高校生の人数が減っていることと,それに対して定員を下げることが許されないことにも原因にあり,また家庭で大学とはどういう学びの場所かという子供への情報提供(大学では大人の振りをしろという教育)が,大昔に比べて全くなくなっていることも原因であろう。
昨今の学生さんは,ものを教えてもらおうとする。宿題や試験の答を教えろと言う。自分で考えろと言いたい。大学のレベルで本人が理解できないものは,一生理解できるはずがないから,大学を辞めればいいのである。わかる範囲(実力)を拡げるのが大学での学習作業である。教えてもらってもこの実力は 1 mm も上がらない。それが,論説委員と多くの学生さんはわかってない。
また,学生の質が下がったのは,定員を割ることを許されない大学が,そもそも大学生としての資格を有していない者を入学させていることにあることも理解されていない。だから大学での補習が必要だと主張する。それは,高校生の人数が減っていることと,それに対して定員を下げることが許されないことにも原因にあり,また家庭で大学とはどういう学びの場所かという子供への情報提供(大学では大人の振りをしろという教育)が,大昔に比べて全くなくなっていることも原因であろう。
昨今の学生さんは,ものを教えてもらおうとする。宿題や試験の答を教えろと言う。自分で考えろと言いたい。大学のレベルで本人が理解できないものは,一生理解できるはずがないから,大学を辞めればいいのである。わかる範囲(実力)を拡げるのが大学での学習作業である。教えてもらってもこの実力は 1 mm も上がらない。それが,論説委員と多くの学生さんはわかってない。
2012年11月11日日曜日
教員が作ったプログラムに数値を代入するだけの宿題
今年は信じられないことが発生した。3 年生に,共振曲線と過渡応答解析結果の図示を宿題にした。毎年同じだ。しかし,自分の答の確認のために,僕が作ったプログラム(計算はブラックボックスにして,パラメータをセットすれば結果がグラフとして表示されるビジュアルなものだ)も利用できるように,今年からしてみた。まさかとは思ったのだが・・・
宿題を集めてみると半分の学生が,僕が作ったプログラムで表示させた画面をキャプチャしてそのまま提出してきた。もう授業はやめようと思った。これが大学生のすることか。大学生というのはそこまで倫理観が落ちたのだろうか。ゆとり世代と言われるが,まさかそんなゆとり教育とは倫理観は関係は無いだろう。この人たちが将来,正しい技術者になるとはとても思えないのだが・・・これが今の平均的な大学生なのか。
他学科の先生からの話だと,「習ってない問題が試験に出された」とクレームが来るそうである。その学科は,本工学部で最も優秀な学生がいる学科なのである。習った問題が出たら試験にはならないし,頭も必要ではないと思うのだが,高校までそういう教育を受けてきたんだろうなぁ。宿題を全く出さずに試験に失敗したあと,レポートで単位をくれと言ってくることも全く理解できない。倫理というより頭が悪いだけなのかもしれない。
宿題を集めてみると半分の学生が,僕が作ったプログラムで表示させた画面をキャプチャしてそのまま提出してきた。もう授業はやめようと思った。これが大学生のすることか。大学生というのはそこまで倫理観が落ちたのだろうか。ゆとり世代と言われるが,まさかそんなゆとり教育とは倫理観は関係は無いだろう。この人たちが将来,正しい技術者になるとはとても思えないのだが・・・これが今の平均的な大学生なのか。
他学科の先生からの話だと,「習ってない問題が試験に出された」とクレームが来るそうである。その学科は,本工学部で最も優秀な学生がいる学科なのである。習った問題が出たら試験にはならないし,頭も必要ではないと思うのだが,高校までそういう教育を受けてきたんだろうなぁ。宿題を全く出さずに試験に失敗したあと,レポートで単位をくれと言ってくることも全く理解できない。倫理というより頭が悪いだけなのかもしれない。
2012年11月4日日曜日
絆という言葉は好きになれない
個人の特性から人と群れないできてしまったので(失敗だったとは反省するが),人との深いつながりを持つということは苦手であり,またそれを望まないできてしまった。だからかな,絆という言葉が特に震災後にここ東北で語られるが,元の町内に戻る必要性を感じない非人間なものだから違和感がある。新しい別の町内を別の場所で作るのでは駄目なのだろうか。
偶然の知人というのはたくさんいる。信頼できる人もいる。しかしいずれは遠く離れる人たちである。うぅーん,うまく書けないが・・・
偶然の知人というのはたくさんいる。信頼できる人もいる。しかしいずれは遠く離れる人たちである。うぅーん,うまく書けないが・・・
2012年10月28日日曜日
他人の振りみたら
前*という人が TV に出ていて「全く別々の意見を持つ者が集まって国民を馬鹿にしている」という発言をしていたので,ようやく自分達の党の実態を知ったのか,いまさら・・・と思って観ていたら,他の人を非難している言葉だった。トホホである。
2012年10月21日日曜日
よくも悪くもどちらともとれる国を作ったと,鹿児島県人を非難され
実質異心の会の代表が鹿児島でムニャムニャ発言。馬鹿にしている。こういう言葉も右から左へと忘れられるのであろう。停滞した政治は,どんどん異心の会へとの流れを助長しているだけだ。前回何も考えずに民*党に票を入れた人がこの会にシフトしているだけだろう。次の政権交代後の展望も全く無い世の中になってしまった。結局どんなことが起きようと,民*党には勝ち目が無いのに,子供会か生徒会のような発言しかできない,そういう態度しか示すことができない。よっぽど大学教授会の各種委員会の方がましだ。委員には,一部研究屋さんといったひどいのもいるが,ま,大学外には迷惑を及ぼしていないだけましなのだろう。
2012年10月14日日曜日
異心の政党
どうせ民*党と同じ寄せ集めではないのか。しかも選挙目当てだけの烏合の衆。某氏が画期的な看板を上げたことから「烏合」に見えないとでも思ったのか。しかし,国民の中には民*党のときの同じ轍を踏んでしまう人も出るのだろうなぁ。
新しい執行部ができて,またぞろ新任者の不適性が公開された。それを国会で糾弾すべきだとのこと。いつから国会およびその専門委員会は議論の場ではなくなったのだろう。もう 10 年以上前からかもしれないなぁ。国民(僕も含んで)はよく我慢しているなぁ。まぁなす術が無いということか。実は消費が増えていないのは,大半は仕方が無いからだろうが,わざとそうしている国民もいるのではないか。政府の思惑通りには動かないぞという草の根抵抗。違うかな・・・ま,吝嗇家の僕は 50 年以上,必要最小限しか買わないできているのだが。
本研究科教授会は儀式であって議論の場ではない。100 人以上で議論することはできないことは明らかだからだ。したがって交通整理の諸会議があり,専門委員会がある。先日も某専門委員会に出て,簡単に終わると委員長も僕も思っていた議題で,意見が分かれた。冷静に考えると,確かに議論すべきことだった。本研究科は正常なようだ。問題は一部のメンバーの質か? 内職ってのはばれないようにやるべきだと思うのだが・・・
新しい執行部ができて,またぞろ新任者の不適性が公開された。それを国会で糾弾すべきだとのこと。いつから国会およびその専門委員会は議論の場ではなくなったのだろう。もう 10 年以上前からかもしれないなぁ。国民(僕も含んで)はよく我慢しているなぁ。まぁなす術が無いということか。実は消費が増えていないのは,大半は仕方が無いからだろうが,わざとそうしている国民もいるのではないか。政府の思惑通りには動かないぞという草の根抵抗。違うかな・・・ま,吝嗇家の僕は 50 年以上,必要最小限しか買わないできているのだが。
本研究科教授会は儀式であって議論の場ではない。100 人以上で議論することはできないことは明らかだからだ。したがって交通整理の諸会議があり,専門委員会がある。先日も某専門委員会に出て,簡単に終わると委員長も僕も思っていた議題で,意見が分かれた。冷静に考えると,確かに議論すべきことだった。本研究科は正常なようだ。問題は一部のメンバーの質か? 内職ってのはばれないようにやるべきだと思うのだが・・・
2012年10月7日日曜日
単位はギリギリでいいけど聴講したら?
本学科には土木系の 3 コースがある。今年度の 2 年生のコース配属では,土木系構造・材料関連のハードウェアコースが定員割れをした。宣伝が問題なら教員側の問題である。ちょっと考える必要はありそうだ。
さて 3 年生である。数学のような基礎科目の場合であっても,3 コースの全員が聴講するとは限らない。基礎である。自分で取捨選択ができるものは自分の責任だから強くは言わないが,本当にそんな聴講の仕方でいいのだろうか。結局,例年の 2/3 くらいの受講生しかいない上に,例年単位が取れない学生さんは数名しかいなかったものが,今年度は 20 人くらいが落とした。ちなみにカンニングペーパー持込可の試験である。
構造系の授業は,もう構造系コースの学生さんしかいない。振動学つまり物理学の基礎科目でも,担当する教員が所属する構造系コースの学生さんしかいないように見える。今年度は特に少ない。大学というのは「学ぶ」場所であって「習う」場所ではないことは前に書いた。「学ぶ」ことは「単位を取る」こととは同義ではない。聴講することは単位を取得することとは同義ではないからだ。しかし,卒業単位取得の見通しがある程度立ったところで,自由な時間を作る傾向が,特にこの 10 年くらいで非常に高くなっている。例えば,水曜日を休日にするためにとか,午前中の授業を無くすように聴講科目を決めるのである。「学ぶ」ために大学に来ているわけではなく,「ゆっくり遊んで卒業して大学名で就職を楽に決める」ために来ているだけのようだ。だからきっと,現場に出て飯場のおっちゃん達と話をしていて,専門基礎的な技術用語すら知らなくて恥をかくのは学生さんの責任である。ガイダンスでは複数の先生が広く浅くまずは学ぶように指導しているのに・・・ざまぁーみろである。
さて 3 年生である。数学のような基礎科目の場合であっても,3 コースの全員が聴講するとは限らない。基礎である。自分で取捨選択ができるものは自分の責任だから強くは言わないが,本当にそんな聴講の仕方でいいのだろうか。結局,例年の 2/3 くらいの受講生しかいない上に,例年単位が取れない学生さんは数名しかいなかったものが,今年度は 20 人くらいが落とした。ちなみにカンニングペーパー持込可の試験である。
構造系の授業は,もう構造系コースの学生さんしかいない。振動学つまり物理学の基礎科目でも,担当する教員が所属する構造系コースの学生さんしかいないように見える。今年度は特に少ない。大学というのは「学ぶ」場所であって「習う」場所ではないことは前に書いた。「学ぶ」ことは「単位を取る」こととは同義ではない。聴講することは単位を取得することとは同義ではないからだ。しかし,卒業単位取得の見通しがある程度立ったところで,自由な時間を作る傾向が,特にこの 10 年くらいで非常に高くなっている。例えば,水曜日を休日にするためにとか,午前中の授業を無くすように聴講科目を決めるのである。「学ぶ」ために大学に来ているわけではなく,「ゆっくり遊んで卒業して大学名で就職を楽に決める」ために来ているだけのようだ。だからきっと,現場に出て飯場のおっちゃん達と話をしていて,専門基礎的な技術用語すら知らなくて恥をかくのは学生さんの責任である。ガイダンスでは複数の先生が広く浅くまずは学ぶように指導しているのに・・・ざまぁーみろである。
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