大学の単位認定では通常試験をして点数で表すが,授業の内容・目的によっては合否だけで判定することもある。アメリカの場合は,ある範囲の数の講義で,点数による成績報告なのか合否だけにするのかを選択できる。なぜかというと,その学期の平均点の低下が除籍に直接結びつくからである。
本学工学部でも,ある学期の成績がいいと次の学期に制限数以上の科目を履修できる。結果的には早めに卒業要件を満足させることが成績上位者にはできるわけだ。何がいいのかまったく理解できないが,それはともかくその工学部では,合否の成績判定に反対している。数値化して欲しいそうだ。例えば複数の教員が代わる代わる講義をするオムニバス方式の(いい加減な)講義がわが国にはある。工学部ではこれもレポート等で数値成績をつけるべきだとしている。しかし,いい加減な講義だから,中にはある学生にとってはつまらない内容の講義しかできない教員も複数いるだろう。そんな課題に対して,その学生はまともなレポートができるわけがない。それをさらに基準の曖昧な判定で数値化されたら,学生はたまったものではないだろう。米国の丁寧なシステムとの思想的な不具合がよく見える。なんとかならないものだろうか。
2012年8月5日日曜日
2012年7月29日日曜日
ペーパークラフトを峰打ち!
仙台市教育委員会開催行事で,中学生に橋のペーパークラフトで工作してもらった。ケント紙を型紙として与え(線を予め引いてある),それをデザインカッターで切り,グルーガンで接着して組み立て,重りを載せて壊れる重さを測定するのである。
テーマは事前に提示してあるから,ある程度は器用な子供達だと想像していたのだが,まさかの連続であった。まず定規に沿ってナイフを動かすことができない。ずれはじめても止めないで切り続ける。深く切ることができないから,何度もなぞってずれていく。何よりも驚いたのは「峰」を紙に当てて切ろうとする。注意しても,また持ち直すと「峰」を当てる。ナイフを「見たこと」もないのかもしれない。
一緒に指導してくれた助教さんの観察では,「このナイフ切れないなぁ」と指に刃を当てようとしたというのだ。なにしろ朝,すべてのナイフの刃は新しいものに交換してあったから,力をあまり入れなくてもケント紙は一回のスライドで切れてしまう状態だったはずなのだ。大事には至らなかったそうだが。
小学生には危険だからナイフを使わせないとか。鉛筆が削れないのは知っていた。しかし,この行事,ちょっと間違うと訴訟問題に発展するかも。ちょっと怖い。今後どうしよう。しかしですよ,ものづくり云々と言っている国の中学生(多分平均的な生徒だったと想像するのだが)がこの程度で,将来は大丈夫なのでしょうか。
テーマは事前に提示してあるから,ある程度は器用な子供達だと想像していたのだが,まさかの連続であった。まず定規に沿ってナイフを動かすことができない。ずれはじめても止めないで切り続ける。深く切ることができないから,何度もなぞってずれていく。何よりも驚いたのは「峰」を紙に当てて切ろうとする。注意しても,また持ち直すと「峰」を当てる。ナイフを「見たこと」もないのかもしれない。
一緒に指導してくれた助教さんの観察では,「このナイフ切れないなぁ」と指に刃を当てようとしたというのだ。なにしろ朝,すべてのナイフの刃は新しいものに交換してあったから,力をあまり入れなくてもケント紙は一回のスライドで切れてしまう状態だったはずなのだ。大事には至らなかったそうだが。
小学生には危険だからナイフを使わせないとか。鉛筆が削れないのは知っていた。しかし,この行事,ちょっと間違うと訴訟問題に発展するかも。ちょっと怖い。今後どうしよう。しかしですよ,ものづくり云々と言っている国の中学生(多分平均的な生徒だったと想像するのだが)がこの程度で,将来は大丈夫なのでしょうか。
2012年7月22日日曜日
ディフェンスはプレゼンテーションではない
朝日新聞でプレゼンテーションに関する連載がある。あまり読んでいないが,大谷大学の鷲田先生という方が,「プレゼンテーションは営業で売り込むときに使うもの」,さらに「『わざわざ言うな水臭い』文化の崩壊で拡がったもの」という表現があった。僕も同様の印象を持っている。プレゼンテーションというのは一方的な自己主張(売り込み)。ディベートというのも一方的な詭弁の自己主張。「聞く」という行為が含まれない。このことも朝日のどこかに書いてあったような気がするが見つからない。
これに対し,研究発表はディフェンスであって,自己の主張とそれに対する反論の理解とその反論に対する正確で正直な回答から成る。しかし昨今の卒論発表や修論発表はプレゼンテーションのみで,質問以降はメチャクチャである。もちろん昔からそうだったが,昔はプレゼンテーションのところが泥臭いレポートだったからバランスが取れていた。質疑についての心の準備もできていた。しかし今はプレゼンテーションの部分がマニュアル的演技になっていて,そこばかりを練習し,自分の課題に含まれる問題点への疑問・質問に対する心の準備を疎かにするため,質問以降のディフェンスとの間のギャップが大きい。話が上手な人に限って,スライドは小さい字満載で,質問になると立ち往生。
ちなみに,鷲田先生は「研究発表」を「レポート」と呼んでいる。しかし,レポートというのはある程度客観的な報告で,嘘や誇張の無い点がプレゼンテーションとは違うようにも感じる。呵呵。ちなみに `report' の辞書の意味の最後あたりには「出頭する」というのがある。わかるだろうか。艦長が上級仕官に「ブリッジに集合!」というときに使うのである。呵呵。
これに対し,研究発表はディフェンスであって,自己の主張とそれに対する反論の理解とその反論に対する正確で正直な回答から成る。しかし昨今の卒論発表や修論発表はプレゼンテーションのみで,質問以降はメチャクチャである。もちろん昔からそうだったが,昔はプレゼンテーションのところが泥臭いレポートだったからバランスが取れていた。質疑についての心の準備もできていた。しかし今はプレゼンテーションの部分がマニュアル的演技になっていて,そこばかりを練習し,自分の課題に含まれる問題点への疑問・質問に対する心の準備を疎かにするため,質問以降のディフェンスとの間のギャップが大きい。話が上手な人に限って,スライドは小さい字満載で,質問になると立ち往生。
ちなみに,鷲田先生は「研究発表」を「レポート」と呼んでいる。しかし,レポートというのはある程度客観的な報告で,嘘や誇張の無い点がプレゼンテーションとは違うようにも感じる。呵呵。ちなみに `report' の辞書の意味の最後あたりには「出頭する」というのがある。わかるだろうか。艦長が上級仕官に「ブリッジに集合!」というときに使うのである。呵呵。
2012年7月15日日曜日
マナー教育せずに・・・ネットや携帯
インターネットがあっという間に誰でも使えるようになり始めたとき,大学内でも種々の問題が発生した。その原因の大きな一つは,使い方の教育をせずに使えるようにしたことだ。大学生やひょっとしたら大学教員もソフトやハードの仕組を知らずに,推測でやりたい放題やって問題が生じたことがあった。同じことが携帯の普及である。
ウォーク*ンの有名な CM がある。猿が直立してヘッドフォンを着け頭を上げて音楽を聴いているというものだ。猿がとても神々しく描かれている。
昨今,歩きながらうつむいて携帯の画面を見る学生やエレベータ待ちおよび内で画面を見ている学生は,この猿以下の頭の悪い生物にしか見えないのは,この CM が頭にこびりついているからだろう。そして,そういった行動を世の中では非難・批判しながらも,飛行機の中でも電源を入れたままの者が後を絶たない。もちろんマナー教育をことさらしている様子でもない。さてこの 14 日から仙台市地下鉄全線で携帯が使えるようになった。使えるようにしておきながら,車内通話と優先席周辺での off を要望するのだ。メイルはしたい放題である。皆さん,そんなに多忙なのだろうか。僕なんか,電話やメイルが届かない場所にいるときが最も平安な気持ちでいられるのだが。
ウォーク*ンの有名な CM がある。猿が直立してヘッドフォンを着け頭を上げて音楽を聴いているというものだ。猿がとても神々しく描かれている。
昨今,歩きながらうつむいて携帯の画面を見る学生やエレベータ待ちおよび内で画面を見ている学生は,この猿以下の頭の悪い生物にしか見えないのは,この CM が頭にこびりついているからだろう。そして,そういった行動を世の中では非難・批判しながらも,飛行機の中でも電源を入れたままの者が後を絶たない。もちろんマナー教育をことさらしている様子でもない。さてこの 14 日から仙台市地下鉄全線で携帯が使えるようになった。使えるようにしておきながら,車内通話と優先席周辺での off を要望するのだ。メイルはしたい放題である。皆さん,そんなに多忙なのだろうか。僕なんか,電話やメイルが届かない場所にいるときが最も平安な気持ちでいられるのだが。
2012年7月8日日曜日
節電しながらライトアップ
TV の映像を見ながら奇妙に感じられてならないのだが,相変わらずスーパー等の大型店の電気はすべて on のようだし,僕の周りを見ると,某大学の門からの誘導路の両側には,無意味なライトが設置されている。街中も夜遅くまで明るく,これで犯罪が減っているのだろうが,逆に夜に出歩くことを容易にして犯罪の種をまいているようにも見える。某大学の某専攻では,環境系の教員の部屋の電気が不在時もついたままだったりする。僕らのように花形研究をしていない連中は,部屋にいても電気を消していたりする。ま,居留守を使うためにも便利ではあるのだが。
電力会社の値上げには反対しながら,普段から電気を使ってその会社を潤させているようにも感じる。スカイ*リーとかいう建造物も,何だか無用な明かりがクルクル回っている。見えない電波を扱う構造物が見てくれを気にするとは。僕らが間借りしている大学の部屋には緊急排煙窓しかないが,節電でエアコンの使用を減らすように圧力がかかる。結局排煙窓を開けるが,西側のためにブラインドを下ろすともう駄目。ブラインドが風でグチャグチャになるだけで,風も通らない。あと 2 年で完成予定の研究棟も全面ガラス・・・ということは,多分窓が無い。引っ越してから 3 年くらいしか使わない僕としては,エアコンをガンガン使わせてもらおうと思っている。
電力会社の値上げには反対しながら,普段から電気を使ってその会社を潤させているようにも感じる。スカイ*リーとかいう建造物も,何だか無用な明かりがクルクル回っている。見えない電波を扱う構造物が見てくれを気にするとは。僕らが間借りしている大学の部屋には緊急排煙窓しかないが,節電でエアコンの使用を減らすように圧力がかかる。結局排煙窓を開けるが,西側のためにブラインドを下ろすともう駄目。ブラインドが風でグチャグチャになるだけで,風も通らない。あと 2 年で完成予定の研究棟も全面ガラス・・・ということは,多分窓が無い。引っ越してから 3 年くらいしか使わない僕としては,エアコンをガンガン使わせてもらおうと思っている。
2012年7月1日日曜日
2012年6月24日日曜日
創造力を最初から持った人はいない
某紙が某起業家に,どんな能力に自信があるのか選択式の質問をしたところ,一位が「創造性・ひらめき」だったそうだ。つまり質問の箇条がおかしい。先天的に創造力を有する個人はほぼ零だと僕は見ているからだ。ひらめき,つまりセレンディピティは問題に深く長く接して悩み続けること無しには得られないものであり,これには先天的な創造力は関係無い。必要なのはシミュレーション,つまり想像力である。問題を解決する答を頭の中あるいは試作によって求める。それが駄目なときに,その状況を踏まえてまた想像して次の答を求めていくという「行動」そのものが創造物を生み出す可能性を高める。結果的にその成果だけを他人が見ると「高い創造性」に見えるだけだ。
パスツールの言葉に `Chance favors the prepared mind.' というのがある。
パスツールの言葉に `Chance favors the prepared mind.' というのがある。
2012年6月17日日曜日
低燃費タイヤ
この特に 20 年くらいの工業技術の進歩はすごくないですか。メモリが格安になったことなどです。なのに電気系の入試での人気が低い・・・さて材料・化学分野はもっとすごいですね。こちらは入試の倍率も上がっている。最近経験したのは車のタイヤである。
石橋さんのエコピ*というタイヤに今年換えた。その前もプレイ*というタイヤで,それに換えたときも燃費が良くなったのだが,その2割程度かあるいはそれ以上,さらに燃費が良くなっている。問題は,よくころがることである。前の車に近付き易くなったような気がする。
石橋さんのエコピ*というタイヤに今年換えた。その前もプレイ*というタイヤで,それに換えたときも燃費が良くなったのだが,その2割程度かあるいはそれ以上,さらに燃費が良くなっている。問題は,よくころがることである。前の車に近付き易くなったような気がする。
2012年6月10日日曜日
我が国独特の良い教育制度を提案できない文部科学省と大学
種々の教育上の議論では必ずといっていいくらい「海外(具体的国名付き)では・・・」といった言葉が現れる。国際化というのは英語を使えて海外に友人がたくさんいるということらしい。受け入れ先とは金の関係が無いプレッシャの無い若手教員の海外研修に,交付金から援助しようという本末転倒な議論をしている。明治時代以降の,お手本を海外に求める体質が文部科学省と大学周辺には未だに残っているらしい。というよりもそれが根本にあるというのは何故だろう。国内からの企画発信力が無いからでしょうねぇ。留学した僕が言うのが最もおかしな話ではありますが。
せっかくサバティカルという制度が米国にあるのであれば,金の関係の米国教員を招いて日本人学生の研究指導をやらせて,1年以内に最低1編の論文を出版させる方が,よほどやり易いことではないのだろうか・・・ま,これも米国の真似ではあるのだが・・・現在の日本の大学の規定ではそれもままならない状況だ。
米国での恩師の記念シンポジウムに招待された大学教員は,その恩師と金の関係を結んで夏休みや海外研修を過ごした人たちが大半である。いいところは,この米国の恩師が(元)日本人であり,米国滞在中も日本語で研究ができたということではあるのだが。
せっかくサバティカルという制度が米国にあるのであれば,金の関係の米国教員を招いて日本人学生の研究指導をやらせて,1年以内に最低1編の論文を出版させる方が,よほどやり易いことではないのだろうか・・・ま,これも米国の真似ではあるのだが・・・現在の日本の大学の規定ではそれもままならない状況だ。
米国での恩師の記念シンポジウムに招待された大学教員は,その恩師と金の関係を結んで夏休みや海外研修を過ごした人たちが大半である。いいところは,この米国の恩師が(元)日本人であり,米国滞在中も日本語で研究ができたということではあるのだが。
2012年6月3日日曜日
大学教員は倫理観が低い
本学工学研究科の入試で問題漏洩があった。本人は,そのレベルではなかったと表明したと記憶するが,処罰された。ここがまず問題である。そしてもう一つの(多分本学特有の)問題は,その後作題者から誓約書を取ることを議論し始めた(一部実行済みなのが悲しい)ことである。とても恥ずかしいことだと思う。つまり,本学工学研究科の教員は倫理観が他機関の教員に比べて非常に低いので,誓約書で防止しようというのだ。しかしだ,今回の本人の表明を見る限り,誓約書制度に意味が無いことは火を見るより明らかである。本人は悪いことをしていないと思っているのだから,誓約書を書いていたとしてもこの人は同じことをしたであろうからだ。
他大学に勤めたことがないからわからないが,この大学には変なところがたくさんある。どこの成人式で「私は犯罪は犯しません」という誓約書を取るというのだろう。当たり前のことを敢えて誓約書にする文化の存在意義が理解できない。もし今回の誓約書が実行に移された暁には,本学の新任教員は「セクハラ・パワハラをしません。」「某総長が行って認めたような論文二重投稿はしません。」「通勤時のバス等でわいせつ行為はしません。」「校費の違法流用はしません。」「構内では喫煙しません。」・・・と,山ほどの項目を記した誓約書に署名させられることになるんだろうなぁ。
でも,確かに,科学研究費や運営費交付金を違法に使った報告も山のようにある。やはり大学人は非常識なのだろう。非常識でないと研究なんてできるわけがないという意見もあるが・・・
他大学に勤めたことがないからわからないが,この大学には変なところがたくさんある。どこの成人式で「私は犯罪は犯しません」という誓約書を取るというのだろう。当たり前のことを敢えて誓約書にする文化の存在意義が理解できない。もし今回の誓約書が実行に移された暁には,本学の新任教員は「セクハラ・パワハラをしません。」「某総長が行って認めたような論文二重投稿はしません。」「通勤時のバス等でわいせつ行為はしません。」「校費の違法流用はしません。」「構内では喫煙しません。」・・・と,山ほどの項目を記した誓約書に署名させられることになるんだろうなぁ。
でも,確かに,科学研究費や運営費交付金を違法に使った報告も山のようにある。やはり大学人は非常識なのだろう。非常識でないと研究なんてできるわけがないという意見もあるが・・・
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