10/10 の朝日新聞の「公共工事をめぐる談合をやめさせようと談合した業者に課す談合違約金を,減額する自治体が出てきた。」の意味が,別の関連記事を読むまでわからなかった。ひねくれ者の僕は,最近は『談合をしないように一部の優良業者に談合をさせて形式的な違約金を取っていた』のかと思った。これ「・・・やめさせようと,談合した業者に談合違約金を課しているが,それを減額する・・・」の方が誤解を招かないと思う。本多氏の『日本語の作文技術』にはもっとわかり易い例が書いてあり,卒論など誤解を避けるべき文章を書くためには必読書だと思っている。実はもっと「・・・談合をした業者に課す・・・」だけで十分ではないのか。「やめさせようと」と来たら次には「導入された」か何かが来て欲しい。
さて,談合は悪いことだ。けど,公共事業だけではなく我が国の多くの場面の決断では,競争や多数決ではなく,回りの状況を見ながら何となく決まってきたことの方が多くはないのだろうか。多分米国が何でも競争だろう。例えば,戦後の公共事業をすべて公正な競争だけで実施していたら,今ある会社の多くが淘汰されて存在すらしていないのではないか。そして,次第に独占化するにつれてそれを調整するために,今度や逆に国が調整をするのだろう。国の調整は正しくて,そうならないような業者間の談合が 100% 不正だと断言するのは,僕にはかなり苦しい。
生物は多様なことが望ましいそうだ。価値観も多様化した方がいい,戦争さえしなければ。それぞれが少しずつ異なる得意分野を持つ業者が多数いた方がいいだろう。特に公共事業には予定価格がある(これが高過ぎるという意味の無い批判がすべてを駄目にしている)から,その根拠となる物価表等を国が適性に公表している以上,独占的に過度に儲ける業者は出ないのではないか。だとすると,談合は・・・