2012年1月15日日曜日

近代フランス

プールの受付に人懐っこい女子大学生がいる。MG 女子大で音楽を専攻しているそうだ。いろいろ音楽の話をしているうちに,僕の好きな CD を貸すことになった。そもそもは,ミヨーの「スカラムーシュ」の楽譜と CD を貸すことがきっかけだったが,ついでにプーランクも貸した。すると,卒業演奏に「ナゼルの夜」をやることにしたとのことでとても驚いた。実は,彼女の指導教員はこの曲をご存知なかったらしい。ということは彼女が独学で練習したことになる。すごいねぇ,近頃の女性はぁ・・・楽譜も自分で取り寄せて,年末に演奏したようだ。結果がどうだったかは,ちょっと怖いので聞いていない。
極めて偏見のある印象だが,アメリカの FM(局ごとに違うジャンルの音楽を流す)の古典音楽放送局では,よくフランス近代が流れていたように思う。大学の音楽図書館にも,書き込みがいっぱいある同種の楽譜があったなぁ。アメリカ映画では,奇妙な人間だという風にフランス人が描かれていることが多いように思うが,実はフランスがお好き?

2012年1月14日土曜日

ユーザーズマニュアル

僕は博士のときの指導教員に,マニュアルの作り方がうまいと褒められたことがある。そこに後ほどいらっしゃったポスドクからも同様のお褒めをいただいた。ま,自慢である。
マニュアルや製品というのは,それを使う人になり切って作らなければならない。しかしよく言われるように,特にコンピュータの取り扱い説明書は難解だ。しかも最近はそれが紙ではなくコンピュータに内臓してあるので,何か必要なことを探すことすら困難な場合が多い。検索機能があっても,結果がたくさん有り過ぎて,どれが必要なのかわかり難いのだ。やはり紙の情報で,ある目的毎に章節建てがあって,類似する複数箇所で同一の対処法が重複して説明されているのに加えて,不足の無い索引が必須だ。
製品の例で,また悪口を書くと,建築物だ。本学工学部の昨今の建築物は,正直言うと,みてくれ「だけ」を追究し,使う人の希望を無視したものが多い。我々の実験室はそこそこうまく行ったが,これは設計事務所がよかったことと,僕が怒りまくったこと(呵呵)があると思う。設計者だけが悪いわけではなく,発注者がきちんとした意思を表明できていないことが多い。遠慮は禁物だ。どしどし文句を言って聞いてくれる設計事務所でない限りうまくいかない。本学工学部食堂も,結局は発注者が明確な反対を表明しなかったのではないか,生協が大学より地位が低いこともあって強いことが言えない,などの原因がある。しかしである。地震で壊れた研究棟の改築にあたっては,そこを使う我々が欲しくないものを強要してきて,あちこちで困っている。建築家は,使う人になり切ることができない人が多いようだ。

2012年1月8日日曜日

因果無く生じた量れない存在

先日,何かをぼぉーっと読んだのか,相変わらず TV のながらだったのか,「無量寿仏」というのが阿弥陀様であることを知った。以前書いたと思うが,実家のお坊様がある講話でお話しになったことが正しかったことを改めて知った。否定の `a' と量る `meter' から `a-measure' つまり `un-measurable' な存在を阿弥陀様 `a-me-ter' = 「あみた」と呼んでいるのである。不思議でしょ?
しかしながら,その存在を崇めるというのではないところが親鸞の偉大なところなんだろうね。阿弥陀様に念仏を唱えるだけでいいようにしてくださるのだから,念仏を忘れずに,しかし自らは精一杯仕事(いかにそれが下等な仕事への従事(悪人)であろうと)をして「生きる」というのが本質だと説いたのであろうと予想される。さらに,死者と仏と阿弥陀様の区別が曖昧なのもいい。やはり宗教ではなく哲学なのだろう。
と空想しながら TV のチャンネルを変えていたところ,ホーキング博士が出てきて,宇宙のはじまりには因果が存在しないとのこと。実は実家のお坊様が好きな講話はこの因果なのである。ひょっとすると真宗では,この「因果」というのが大事な概念なのかもしれないが・・・さて,この物理と阿弥陀様をどう両立させるのが素直だろう。

2012年1月7日土曜日

なぜ買い直すことが環境保全になるのか

土木構造物は滅多には造り替えることができないので,メンテナンスで少しずつシステムをより良いものに「更新」しながら使っていただいている。と思っているのだが。また,携帯電話の OS も,パーソナルコンピュータの OS も,各種市販ソフトにおいても,基本的には無料の「更新」で機能を維持あるいは向上させることを努力している。
なのにである。自動車はどんどん買い直せという国のメッセージしか聞こえてこない。更新するよりも廉いのかもしれないが,買う方としては完全にもう一台分の出費が避けられない。自動車だけではなく電気製品もそうだ。そうそう,学生さんが建築志望になるきっかけの一つに「云々 before after(and が抜けているし)」という番組がある。あれも,放送開始時の数件を除けば,ほとんどすべて「改築」である。少なくとも「更新」ではない。土木構造物だって「改築」できるんだったら,よほどいいものができるのは火を見るより明らかだが,それをしてはならない。
やはり,どこかおかしいとしか言いようが無いのだが。国も増税しか言わず,役人は経費節減はしないまま国債発行を口に登らせる。どこかおかしい。しかもである。環境対策が十分で無い自動車は,わが国では廃車になったとしても,それが他国に廉く流れてそこの環境を破壊し続けている。それを手伝っているのが,新車購入を奨める企業や国なのだが。そうそう,それを金のやり取りで解消しようという案もあったが,それもやっぱり全く理解できない。

2011年12月18日日曜日

最近の学生さんの安全率 = 1 以下?

大学の教育体制は高校までとは違う。自分で自分を律して,自分でスケジュールを立てて,それに従って成果を挙げていくのが正しい道である。さて,紙で橋の模型を作ってそれが支えられる重りの大小で競争しようという研修を実施している。冬セメスタの科目なことから,10 月末までに説明を終えて,模型を作るための余裕をみて 12 月初旬に重りを載せることにしている。10 月 20 日までに説明して 12 月 10 日くらいに実験をするようにすれば,6 週末くらいはあるから模型を試作するのに十分だろうと思ってそういう日程にしてある。
果たして・・・
来週実験をしようとするある日,学生さんから「課題は何でしたっけ?」とか「いただいたソフトが動かないのですが」とかの質問が来るのである。初めてやる事業に自分の能力でどのくらいかかるかわからないというのが,社会に出て接する仕事だ。その予行演習を大学ではやっていることになるのだが,1 週間でいいものが作ることが可能なのだろうか。本当にそう思っているとすると,ちとまずいと思うのだが。もう大学でまともな教育はできなくなっていると感じる今日この頃である。

2011年12月17日土曜日

OS メーカーなんだから・・・

Visual BASIC が無料配布になった。何故か ac.jp のメイルアドレスでは登録できないため(契約書を詳細には読んでないため),プライベートなアドレスを使用して登録した。しかし,コンパイルしたバイナリが,やはり他のデフォルトのコンピュータでは,ある種のライブラリを追加インストールしないと動かない。cygwin でコンパイルしたものが,そのライブラリを必要とするのは仕方がない。しかし,MS 社は OS のメーカーである。その OS の標準ライブラリで動くようなバイナリをどうしてビルドできないのか。これでは,利用者を増やすことは難しいのではないか。
昔作ったバイナリの場合は,ライブラリと一緒に配布して,標準設定のコンピュータ利用者にも使ってもらえた。もっと昔のは,そのバイナリ単体で今でも使える。最新のは,どうなんだろう。やり方は今のところわからない。配付可能なライブラリがあるのであれば,最初からそれを OS に附属させておけばいいのではないのか。そうすれば,その OS を使うユーザは,プログラム開発も MS 社のもので行う可能性は高いだろうに。現状では,個別にダウンロード・インストールが必要だ。通信費もかかるし,それは MS 社の収入にもならないのだが・・・
もうひとつ! 自宅で作成したものを大学に持って行ってみたところ,FORM や各 Box 等の見た目が同じにはならないのだ。うぅーん。とても MS 社らしい結果だが,困ったものである。だから評判が悪いのにねぇ・・・インストールされているフォント等の都合(フォントサイズでビルドするのが最も違いが少ないのだが)のように見えるが,あのスライド関連ソフトでも相変わらず文字化け等が頻繁に生じる。

2011年12月11日日曜日

スポーツ応援

北朝鮮でのサッカー試合時の事情は,彼らからしたら今も戦時の敵国なんだろうが,戦争中であっても相手国の国歌・国旗には敬意を表することになっているのではないかと思ったのだが・・・微妙な内容になるとまずいのでこのくらいで止める。
さて,女子バレーボールもそうだが,日本チームのサービス時の声援と,相手国の場合との差や,試合中の声援というのは,僕はあまり好きになれない。声援というよりも,相手への威圧になっているような場合があるからだ。ゴルフのように,プレィヤーが動作に入ってボールが生きている間は静かにしたらどうなのか。ボールが死んだ段階で応援なり声援を送ればいいのではないか。
高校野球のバッター塁走中のガッツポーズは以前は禁止だったが,もうやり放題だ。相手に対する敬意というのがまずあって・・・というのが日本の文化だと聞いたことがあるのだが,こういうところだけグローバリゼーションを是認しておいて,経済・政治上ではそれに抵抗しても,説得力は無いのではないか。

2011年12月10日土曜日

バックライト:どんどん贅沢になっていく

先日,電子メモを購入した。手のひらに乗って,タッチペンで書き込み,99 枚分のメモが保存できる。注文時に既購入者のログを見たところ,暗いとか重いといった書き込みがあったので多少心配していたが,届いてみたら,いつも使っている電子辞書程度の明るさだし,150 g 程度で,いつもポケットに入れているわけではないので十分な軽さだと感じた。何故ネガティブな書き込みが多いのかなぁと思っていた・・・
同じ週のゼミで,携帯電話の充電の話になったので,2 週間に一回と発言したところ,全員に驚かれた。皆さん,二日程度で充電が必要で,部屋にいる間は充電器に置いたままにしているとか。で,再度,あの電子メモのログを見ると,バックライトをつけると 2 日くらいで電池が無くなるので,それを無しにして 2 ヶ月くらいの寿命を確保しているらしいとの発売社情報の書き込みがあった。
そうなんだぁ! 世の中の人たちは,もっと明るい液晶画面に慣れてしまっているから,こういうネガティブな書き込みが多いのだということがわかった。あの震災後の節電云々の盛り上がりはやはり単なる言葉だけだったのではないかと実感した次第だ。日本は極端だ。節電だというと廊下の電気を昼間は消してしまって,すれ違うまで相手が確認できずに挨拶が遅れる,かと思うと,事務室や公共の場はもちろん自宅の電灯は,アメリカのそれに比べたらものすごく明るい。目の色素の関係もあるでしょうが,日本も,もっと暗い人生でもいいのではないでしょうか。アメリカの下宿が暗いと感じたのは,着いて一ヶ月程度だったですよ。

2011年12月4日日曜日

ざんがいがさんがいにちらばっている

一階(いっかい)でエレベータに乗る。研究室は 13 階だ。ボタンを押す。しばらくすると着いてドアが開く。するとエレベータがしゃべる・・・「じゅうさんがいです」と。ほぉー,じゅうさんがいなんだ。忘れ物を思い出して 4 階まで降りることにした。ボタンを押す。しばらくするとドアが開いて「よんかいです」。あ,違った 3 階だ,面倒だからこのままエレベータで行こう・・・で,3 階に着く。エレベータが「さんがいです」。
うぅーむ。どういう規則なんだろう。他はすべて「かい」のようだ。ま,「ごがいです」とは言わんだろうなぁ。
さて,ドアが閉まりかけているエレベータのドアのセィフティ・ノブを押して開け,乗り込んだ。するとエレベータがおせっかいにも「かけこみ乗車(だったかな?)はおやめください」と。本当にムカッときましたよ。相変わらず瞬間湯沸かし器だねぇ,俺は。と思ったが,別にかけこんだわけではない。ゆっくりと歩き寄ってから,閉まりかけているドアを止めたのだ。ボタンよりもノブの方が大きいから確実だ。本当にムカッと来ましたよ。ちょっとだけ強くたたいたのは間違いないのだが・・・

2011年12月3日土曜日

予定を組むこと・・・必ずしも前向きではないが

先日の TV 番組では,建築家の安藤忠雄氏が中学校で講義をした。ネットで検索すると嫌いな人が多いようだ。あの打ちっ放しのコンクリートは僕も嫌いである。が,それは好き嫌い(自分の家があぁだったら嫌だというくらい)の問題なので,どうでもいいことだ。山口瞳さんのご自宅は打ちっ放しだったかな?
その授業中に,最初にヨーロッパを訪問したときのこと等に関連した質問が中学生から出たのだが(中身は忘れた),関連して,「これから何をするか。今日何をするか。将来何をするか。ということを常に考えるのが必要」という彼の発言には賛同する。特に,卒論のために研究室に配属された以降の大学生および大学院生は,自由に自分の生活時間を設計できる。大学に就職した教員も同様である。このとき,やはり一番大事なのは,まず「明日は何をやるか,どの問題を潰してやるか,どういうアプローチをしてみようか。」ということを頭に思い描くことだ。もちろん紙に書く(今は,携帯の電子メモもあるから便利だが)のがいい。これを毎日・毎週やることによって,自分の仕事の目的意識が保てるので,象牙の塔と揶揄されようと,誰も資金援助してくれなくとも,自分の好奇心を満足させるような研究を遂行できる。否,そうしないと遂行できないだろうと思う。
ところがである。「今日はこれをすればあれが解決するぞ」と意気込んで大学に行き,手を動かし始めた途端に「あ,これは先週やったのと結局は同じだ,駄目だ」となったときが困るのである。その日は,もう何も手につかない。ま,しかし,それが人生だ。